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「痴呆性老人によりそうケア」(後編)
講師 置塩 美子さん(精神科医 こころの健康センター非常勤嘱託医)
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昔のことはよく覚えていると言いましたけれど、特に手続き記憶というのがあって、身体で覚えている記憶は残ります。例えばピアノをずっと弾いていた方は、曲の名前は分からなくてもピアノの前に座ったら弾かれるとかです。身体で覚えたことはなかなか忘れないので、それを使ってできるだけ残っている能力が落ちないように働きかける。その方が好きなこと、昔しなれたこと、得意だったことを使って働きかけるわけです。それは各個人によって違います。生活歴だとか、職歴だとか、趣味だとか、好みだとかによって違いますので、個別対応をしなければいけないわけです。
・愛情に基づいた嘘
何もできないからといって一人で孤独に放っておくと、本人も何かしたいという目的を自分で作り出して動くということをしなくなるので、身近にあるものを破ったり、布団のカバーを破ったりとか、破衣という問題行動がよく起こります。ですからその方のできること、お好きだったことで働きかける。お仕事をしてもらう。農家のおばあさんの場合はお豆の選別をしていただく。頼まれて人の役にたてると思ったら誇りに思いますよね。一生懸命に選別なさるからはかどって、選別していただくお豆がなくなっちゃった、どうしましょう。結論は、けしからんことだと思われるかもしれませんが、選別されたお豆をもう一度混ぜて「お願いします」と。だから痴呆の方の介護には演技とか、工夫とか、愛情に基づいた嘘が必要なんです。せっかく選別したのを混ぜてまだ選別できていないものとして、お願いしますというわけですから嘘になるわけですけど、それをしていただくことで顔が和やかになってニコニコなっていただくならそういうことも許されるというか、それを使わないと介護が成り立っていかないんです。だから、ものすごく生真面目に「そんな失礼なことをしたら申し訳ない」「嘘をつくといけない」とか考えていたらとても痴呆の介護はできません
例えば、盗られたと騒ぎはるとします。そのときに、「私はそんなもの盗っていません。盗るはずないでしょう」といっても、「ああそう、私勘違いしていたわ。ごめんなさい」には、絶対になりません。だから痴呆の方の介護は理屈の説得はだめです。脳血管性の場合、OKの場合もありますけど、原則的に説得はだめ。気持ちを受け止めて納得していただくんです。だから、自分の大事なものがなくなってどうしようと思ってはる不安を受け止めて、「それは無くなったら心配ですね。でも私は盗っていませんよ」と、さらっと言って「大変ですね。困っているんでしたら探しましょう」といって、一緒に探してあげるんです。そうしたらたいてい出てきますよ。そこが痴呆の方でですね、
私たちの物忘れは、変なところに置いたら後で困るから、分かりやすいところにラベルを貼ったり工夫するじゃないですか。痴呆の方は盗られたらたいへんという瞬時の判断で動くから、分かりにくいところにしまわれるんです。「盗られたら困る」というその一点に集中するから。だから、いざ必要なときには探しても出てこないんです。ある方はソファーとかベッドの下とか、大体決まっています。一緒に探してあげて「良かったですね、見つかって」と言ってあげる。盗られ妄想も初期だけですから、だんだん進行すると、悲しいかなそれも消えていきます。うちの姑も言いますよ。「権利書あんたのところにあるのと違う?」とか言うんです。「そんな大事なものは預かっていませんよ」と言っても、「持っていったはずや」と言われるんです。「金庫にあると思いますよ」といっても聞かないから、とうとう出してきて「預かっているから、心配になったら見せるからいつでも来てね」と言って安心してもらったんです。やはり不安いっぱいで生活されているからそうなるんです。
・夕暮れ症候群
もう一つ、夕暮れ症候群とか日没症候群とかよく聞きますよね。日没になったら落ち着きが無くなって、そわそわなさる。お昼不安なままにものすごく緊張して過ごしてきたわけです。夕暮れになってくたびれているのと、薄暗くなってものの認知がしにくくなりますよね。それに人間の身体はお昼モードから夜モードに変わるんですね、神経支配が。脳の血流なんかも変わってくるということでその認知力が余計に落ちる。つまり不安も高まる状況で、お昼から夕方になるとまた落ちるんです。そしたら今いる家が自分の家と思えなくなるんですね。昔の懐かしい家、子どもが「ただいま」と帰ってきて、おじいさん(夫)ももっと若いはずですよね。周りの雰囲気も自分が安心できる家でなくなっていますから、自分が安心できる家に帰りたくなるわけです。そのときにいくら家族が「おばあちゃん、この家に何年住んでいるの。おばあちゃんの家はここしかないよ、どこに帰るところがあるの」というのは理屈による説得です。だから帰りたい、不安になっているという気持ちを受け止めて「もう帰りたいんやね、でも薄暗くて帰ってもらうの心配やからこれ食べて待っといてください。そのうち用事が片付いたら送っていきます」と言うと、不安な気持ちを受け止めてもらえたわけです。これ食べて待ってたら送ってくれるんやと思ったら、食べてるうちに忘れちゃうんですね。
弘済院でも入所してきたら夕方必ず帰りますとおっしゃいます。弘済院なんか特に自分の家と違うところに来てるから、なおさらです。そしたら寮母さんたちは「娘さんに連絡してあげるわね、一人では心配で帰らされへんわ」って電話するんです。娘さんの家には電話できないですよね、プロとして。家でできないからお預かりしてるのに。電話をかけるふりだけするか、下の事務所に電話して、「今忙しくて今日は迎えに来れないんやって。悪いけど一晩我慢してくれはる?」って寮母さんが頼むと、「しゃあないな。一晩だけやったら」って我慢してくれはります。あくる日になったらまた色んな行事があって楽しいし、寝て頭もすっきりしてるからそのまま過ごしなさる。また夕方になったら「帰る」とおっしゃるんです。それが1週間、10日と続くと寮母さんたちがやさしく受容的に接してくれて、そこがなじみの場所、自分にとって安住できるところだと感じられたら、もう言わなくなります。だから、いかにヘルパーさんがそのご老人となじみの関係をつくりあげていくかということですね。
・ヘルパーさんはお客さん?!
このAさんはヘルパーさんに最初来ていただくようになったときに、娘さんが一生懸命説明したんです。ヘルパーという制度が新しい制度だからそのとき分かっても忘れてしまうんです。昔の制度だったら理解できるんですけど、ヘルパーさんの制度は最近の制度だから瞬間は理解できてもすぐ忘れる。それでヘルパーさんがあくる日に来たらお客様だとAさんは思ったんです。「どうぞお上がりください」と紅茶をいれたりしてお客様として扱いなさったんです。そのときに真面目に「私はヘルパーとして来たんです」と言ってしまったらだめなんです。そのときは上手にお客さんになってくれたんです。それを上手に続けていくうちになじみの関係ができて、ぼちぼちとお掃除しにくいところをお手伝いしますという形でトイレとかお風呂とかをお掃除してくださるようになって、そしたらものすごくヘルパーさんが来てくださるのを楽しみにするようになりました。娘さんもその間はヨガに行ったり、痴呆の介護をし終わった友達のところに愚痴を言いに行ったりして、心身の余裕を取り戻しに行けるのです。そういう風に演技ですね、お客さんになる。そういうことも含めて真面目に対応していたんでは、介護がなかなかうまく進まないということが痴呆の場合はあります。
残っている機能で、女性は割といろいろあるんですよ。例えば、編物できる人だったら、形のあるものはできなくなります。目を減らしたりとか。だから、まっすぐのものをストンと作っていただくんです、マフラーとか。それを家族に一本ずつ作っていただくんです。必ず家族に「ありがとうと言ってくださいね」とお願いします。人のために役立つことができた、喜んでもらえることができたと思ったら痴呆の方もやっぱりうれしいですよね。人の世話にばかりなって無用の長物だと思われているということで一日暮らすよりもです。だから、できるだけ毛糸をどんどん買ってきてもらうんです。それが行き渡って、もういらんという場合は、ちょっと幅を広めにして、つなぎあわせてひざ掛けにするんです。つなぎあわせるのは本人さんができないので、家族の方にしてもらう。それから女の人だったら刻むことだけとかね。さっき言いました実行機能を障害されるというのはどういうことかといいますと、お料理なんかすぐできなくなります。お料理は案外難しいんです。ある目的を決めますよね、筑前煮をしよう、それには何々がいる。家の在庫と比べて買いに行かないといけない。刻み方もあって、炊いて、調味料の順番もある。足りない味は足さないといけないわけです。そういう機能はすぐにできなくなります。実行機能というのは割と早く、人によっては中期ぐらいでなくなる場合もあります。
痴呆の男の方は、とっかかるものを持っていないことが多いんです。植木の水やりとかですかね。新聞記者の場合はスクラップを作ってもらいました。そのかわり社会部の記者でしたから自分の関心のある記事しかスクラップしてくれないんです。新しいことはインプットできないから。痴呆の方は他にすることがないから瞬く間にスクラップができていくんです。「おかげでよく分かりました」って感謝の気持ちを述べながら借りたスクラップブックを返していました。そしたらある時「お給料をいただいておりません」と言い出したんです。お仕事をしていると思ったんですね。困ったなと思って、それこそ工夫とか演技がいるんです。私2つのことを考えたんです。ひとつは家族からわずかでもお金をいただいて、「わずかですけど、これがお給料です」とする方法。なかなかうまくいってない家族でしたから「悪いですけどボランティア精神でお願いします」といったら、「そうか」と納得してくださったんです。それからお給料のことは言わないで作ってくれるようになったんです。
今、姑にやってもらっているのが庭の水やりです。やるのとやらないのがあるし、1日に何回もやるから腐らしたりとかしますけど、覚悟するんです。「つぼみがついてきた」「きれいな花が咲いた」って喜びますし、それが仕事になって自分が役に立っていると思ってくれるのを良しとして、「花が枯れてもいい」とこっちが腹をくくるわけです。今、強い野生のシクラメンとかを探して置いているんですけど、こっちが思っているように枯れさせないように水をやってくださいとかっていうのはもう無理です。夏でも3時ごろに水をやるんです。「朝早いほうがいいんやけど」とか思うんですけど、時間がわからないから仕方が無いと思ってみています。
・生きようと懸命に努力している姿
大部分が介護ですけど、暴力行為だとか、すごい興奮状態とかは精神科のお薬がとても効くときがあります。せん妄状態とかもね。だから医者に相談してください。そのかわり副作用も出やすい場合があります。どういう副作用が出るかということもよく聞いていただきたいです。大部分は介護がメインです。最終的には「痴呆性老人というのは、痴呆というハンディキャップを持ちながらもその中で何とか彼らなりに生きようと懸命に努力している姿。あるいは、それで困惑している姿」としてとらえてあげてほしいと思います。
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